早いもので、2025年も12月になりました。
読者の皆さまはいかがお過ごしでしょうか。
お忙しい年末の合間に、こうして「スウェーデン暮らしの掲示板」へ足を運んでくださり、本当にありがとうございます。
今回の記事は、私が2021年5月にスウェーデンへ移住してから3年7ヶ月の間に経験した出来事をまとめた、少し長めの記録です。
これまでは、スウェーデン生活に役立つ情報や、皆さんの毎日がほんの少し豊かになるような実用的な記事を中心に書いてきました。
しかし今回は、そんな普段とは少し異なる、私自身のとても個人的なお話になります。
海外での出産に不安を抱えている方、
スウェーデンへ引っ越してきたばかりで戸惑いの多い方、
これから進学やキャリアチェンジを考えている方、
そして「生きづらさ」に悩んでいる方。
そんな方々に「こういう経験をした人もいるんだ」と、ひとつの体験談として読んでいただけたら嬉しいです。
スウェーデン移住:期待と現実

スウェーデンへ移住してきたとき、日本の友達からは「海外生活なんて素敵!羨ましい!」という言葉をたくさんかけてもらいました。
私自身も、スウェーデンで暮らすYouTuberさんの動画を見て、キラキラした生活が待っているのだと信じていました。さらに、ビザが降りるまでは夫と離れて暮らしていたこともあり、「これでやっと一緒にいられる」という強い安心感もありました。
スウェーデンには、2015年に10ヶ月の交換留学、2020年に1年のワーキングホリデーで滞在した経験もあったため、「なんとなく大丈夫だろう」という妙な自信もありったのです。
そして、移住前には、スウェーデンで出会った先輩日本人に「日本で準備しておくと良いこと」を聞いたりしながら、自分なりにできる限り準備をしてきたつもりでした。
ところが、実際にスウェーデンに来てすぐに、理想と現実は少しずつずれ始めます。
夫はスウェーデン生まれ&育ちではあるものの、家族はハンガリー系で、親戚との集まりはハンガリーの文化・価値観が中心。移住したばかりの私にとっては、久しぶりに再会して「やっと一緒に暮らせる」というタイミングだったのに、夫はハンガリーに関係する集まりを優先することが何度かあり、
「私は夫と一緒に暮らすために、わざわざスウェーデンに来たのに…」
「私より、ハンガリーの方が大切なんだ…」
そんな小さなすれ違いが積み重なっていきました。
そうなのです。夫の家庭はハンガリー色が強く、スウェーデンらしさはほぼ皆無です。実家は、広い庭のある家でもなければ、サマーハウスもありません。
もちろん、そんなことは留学時代から知っていたし、気にしていなかったはずなのに、いざ移住してみると、ユニクロの同僚たちがサマーハウスの話題で盛り上がると

「私は日本から来た外国人」「夫の家族はハンガリー文化」
「マイノリティは応援したいけど、自分がいざ当事者になると辛いな。」「いくらがんばっても、スウェーデンにはなじめない。」
と一気に不安が押し寄せてきました。
実際、スウェーデンの苗字の方が書類面接に通りやすいという研究があり、スウェーデンも日本と比べるとましなのかもしれませんが、差別は存在するという話をきたこともあります。
そして、日本に一時帰国した時に「スウェーデンはどう?」と聞かれても、クリスマスやイースターは“ハンガリー流”しか体験したことがなく、典型的なスウェーデンの姿をうまく説明できませんでした。
さらに追い打ちをかけたのが、スウェーデン語の壁です。
私が移住したのは5月で、スウェーデン語学校のスタートは8月からと言われ、すぐに通うことはできませんでした。その間、日本語を教えるオンラインの仕事を続けながらサマージョブ探しをしたものの、自分のスウェーデン語の弱さに落ち込む毎日。
それでも、なんとかユニクロのサマージョブを獲得でき、仕事の中で少しずつスウェーデン語を使う機会も増えてきました。
そこでようやく、「もしかしたらやっていけるかも」と小さな自信が芽生えたのを覚えています。
とはいえ、北欧・スウェーデンは「幸せの国ランキング上位」というイメージも強く、自分も住めば幸せになれると思っていたのに、実際にはキラキラとは程遠い現実に、「私の心の持ちようが悪いのかも?努力が足りない?」と何度も打ちのめされました。
海外出産:離婚を考える

スウェーデン移住後、私にはPCOS(多嚢胞性卵巣症候群)があることもあって、子どもを授かれるかどうか大きな不安がありました。ホルモン薬を処方してもらい妊活を始めたところ、幸運にも2周期目で妊娠が発覚。
「2人で子育てをしたい」という気持ちが強く、「夫家族が全面的にサポートしてくれる」と言ってくれたこともあり、スウェーデンで出産することを選びました。
しかし実際には、期待していたような支援を受けられず、これが長い間、私と夫の関係に影を落とすことになります。
夫の家族事情も複雑で、義父の認知症が急に進んだこともあり、夫はサポートのために家を空けることが多くなりました。
「家族が困っているのだから、私が我慢すればいい」
そう思い込んでいた部分もあります。
しかし、義母の誕生日にお祝いへ行くと言われた時は、さすがに限界で、護の緊急性がある日ではなく、私は「家にいて息子を見てほしい」とお願いしたのですが、夫は結局お祝いに行きました。
その瞬間、
「私はこの人の中で優先順位が低いんだ」
「この先も一緒にやっていけるのだろうか」
という思いが強くなり、初めて「離婚」という言葉が頭をよぎりました。
しかし私はその気持ちを夫に伝えず、目を合わせない・話さないという幼稚な態度をとってしまい、関係はさらに悪化することに。
私は育休で一日中息子と過ごしていたため、夫が帰宅すると私は家事の続き、夫は息子と遊ぶという日々が続きました。
さらに夫は、息子へハンガリー語だけで話しかけることが多く、食卓でも会話がハンガリー語だけの時がありました。
自分の家なのに、言語の輪に入れず、「私はこの家でただの家政婦みたい」と感じるほど孤独でした。
何度か「スウェーデン語で話して」とお願いしましたが受け入れてもらえず、
「離婚しても息子が許してくれるのは何歳くらいだろう…?」と考えてしまうほど追い詰められていました。
ついに私は、自分がどれだけ孤独だったか、家の中でも言語の壁で苦しい思いをして離婚も考えていることを伝えました。
それを聞いた夫は、今ではハンガリー語で話した後に概要をスウェーデン語か日本語に訳してくれるようになりました。
言葉の壁と言えば、
育児休暇中のママ・パパが集まる会にも参加していましたが、行くたびにスウェーデン語への自信のなさで緊張し、胸がざわつきました。
そこでは、「みんな自分の仕事やキャリアを持っていることが当たり前」という雰囲気で、私は惨めさを感じてしまい、思わず「育休後はユニクロに戻る」と嘘をついたこともあります。
スウェーデン人ばかりだったこともあり、お歌の時間にはみんながピッピの歌を身振り手振りもつけて大熱唱。アウェイ感が半端ではなく、私も勉強して?マスターせねばと思った記憶があります。
のちにカウンセリングを通して気づいたのですが、この頃の私は、自分の中のインナーチャイルドを守るための「アダルト」が厳しい言葉ばかり投げかけていたのです。
「努力が足りない」
「将来どうするつもり?」
「もっと外に出て人に会わなきゃ」
そんな「冷たい自分の声」が、ますます私を追い詰めていました。
スウェーデン語は、ラジオと夫頼みの毎日が恐怖で、今振り返ると、本当に無謀だったのですが、私は6月末に出産し、8月からスウェーデン語コース(SVA1)を開始。
日中は家事も育児もほぼ全て自分が担い、授乳中や赤ちゃんが寝ているわずかな時間に、スウェーデン語の本を片手に勉強する日々。
今なら「もっと自分を労わっていいのに」と思うほど、限界ギリギリまで頑張っていた時期でした。
妹が1か月手伝いに来てくれて、その間は精神的にとても救われました。ただ、妹にとって初めて海外なのにどこにも連れて行ってあげれない。何もしてあげれないと落ち込んだのも覚えています。
おそらく、何があってもマイナスの方に思考が向かい
「自分の努力が足りない」
と自分を、気づかない内に追い詰めてしまっていました。
今、振り返って思うことは、産後の時期は、とにかく時間も心の余裕もなく、夫婦関係が悪化しやすいタイミングだということです。
1時間でもいいから、赤ちゃんを見てもらい、夫婦で落ち着いて話す時間があれば違っていたと本当に思います。夫は夫なりに、家事や育児に協力してくれていましたが、私に余裕がなくて、優しさに気付けなかったことも多かったと思います。
もし外部のサポートをお願いできるなら、事前に具体的に相談しておくことがとても大切です。
- 週に何時間
- 料理・洗濯・子守のどれを
- 誰に手伝ってもらえるのか
「手伝う」の概念は人によって異なるかもしれないし、「手伝ってあげたい」と「できる」も大きく異なるからです。
そして何より、出産直後は、パパにママの心身の状態を理解してもらうことが最優先。
ママの身体は「赤ちゃんの生命を優先」しており、母乳育児の場合は特に、回復する前に授乳が始まります。母体は大きな臓器(胎盤)を失い、出血量も多く、「ジェーン・スー生活は躍る」ラジオでは「出産後のダメージは大きな事故に遭ったのと同じ」と言われていました。
夫にもきちんと伝えられなかった私にも反省がありますが、まずはママの十分な休息と1人になれる時間の確保を最優先すべき!これは本当に強く感じました。
海外進学 : 異文化の壁にぶち当たる

海外での進学を決意した私は、スウェーデンに来て初めて「異文化の壁」というものに真正面からぶつかりました。日本では英語講師として働き、スウェーデンでも細々とオンラインで日本語を教えてはいたものの、十分な収入にはつながらず、日本語の先生をしていた知人からも「これでは食べていけない」と聞いていたため、教育が無料で受けられる環境を活かして思い切って専門学校で UX デザインを学び直そうと決めました。
ブログ運営を通して UX の重要性を実感していたこと、そして「分かりやすく伝える仕事」という点で教育と UX がつながっていると感じていたことも大きな理由でした。さらに、IT 企業で働く日本語学習者から「エンジニアほど強いプログラミング力がなくても挑戦できて、給与も比較的高い」という話を聞いたことも後押しとなり、私の心はすっかり UX デザインへと傾いていました。
スウェーデン語やデジタルスキルを成人学校で学び、倍率約5倍の選考を突破してIT högskolanに合格したときは、まるで世界が開けたようで、スウェーデンで新しい友達ができるかもしれないという期待で胸がいっぱいでした。
しかし、授業が始まると現実は甘くありませんでした。言っている内容は理解できるのに、どのタイミングで発言すればいいか分からない…伝えたいことがうまく言えない…そんなもどかしさが続き、クラスのほとんどがスウェーデン生まれ・スウェーデン育ちという環境の中で、私は常に「アウェイ」のような孤独感を抱えていました。
特に、グループワークが多い学校だったこともあり、発言を無視されてしまったり、そのことを先生に相談したことでクラスメイトに誤解されたり、さらには「移民はスウェーデン人の嫌がる仕事をしてくれるから必要」とのクラスメイトからの不用意な言葉に傷ついてしまう出来事も重なって、心が折れてしまいました。
自分がここにいる意味があるのか、税金を使って学ぶ資格があるのかと暗い気持ちになり、最終的には学校のことを考えるとお腹も頭も痛くなり、体調を崩して退学することに。
そこで、日本の学習サイトを使ってUXデザインを独学することにしました。とはいえ、「求職中」の身になったため、息子が保育所に入れる時間が一週間で20時間になってしまい、家事と限られた保育時間の中で必死に勉強しようとすればするほど焦りが募り、息子に強く当たってしまったこともあり、自分を責め続ける日々が続きました。成人学校での学びなど、これまで準備してきたものが全部無駄になったような気がして、これからの仕事や生活の不安も重なり、人生の中でも特につらい時期でした。
「何か一つでも前に進もう」と思い、オンラインで受けられるプログラミングのコースに挑戦することに。アンドロイドアプリを作ることのできるKotlinを学んだのです。プログラミング自体は得意ではなかったものの、先生の教え方がとても分かりやすく、クラスの雰囲気もよく、少しずつ「学ぶことってやっぱり楽しい」と感じられるように。
メッセージで励ましあいながら、クラスメイトと自主勉強会をしたり、良い関係を築けたことも大きな支えでした。
ただ半年が過ぎる頃、「プログラマーの働き口が減っているのに、このまま続けていていいのか?」と思うように。「先生が自分で学び続ける姿勢が大切!」と口癖のように言っていたこともあり、もう一度“自分の原点”である教えることに向き合いたいと強く思うようになりました。
クラスメイトや先生、実際にプログラマーとして働いている友人にも相談しながら悩んだ末、私は、自分自身の道として「開業」を選ぶ決断をしました。
これから海外で進学する方を脅かすつもりはまったくありませんが、「国が違えば文化も違う」ということを改めて再確認しておくと気持ちが楽になると思います。
私自身、交換留学も経験しましたが、多文化が集まる環境のほうが「みんな違って当たり前」という空気があり、新しい文化を自分たちで作っていける分、過ごしやすいと感じました。
一方で、自分だけが外国人として1つの文化の中に入っていく場合は、周囲を観察しながら適応しようとするぶん、どうしても心が疲れてしまうことがあります。これは誰にでも起こりうる自然な反応だと思います。
だからこそ、事前に心と時間に余裕を持たせておくことが大切だと思いました。
例えば、ストレスが解消できる予定を前もって立てておく。また、心の準備として、その国では
- 初対面の人とどう話すのか
- 仲良くなりたい時のサイン(何言ってんだ!という感じかもですが)
- よくあるコミュニケーションの取り方
- 言語化されていない文化の違い
など、日常の「暗黙のルール」を聞いておけばよかったなと思いました。
例えば、スウェーデンだと日本に比べて「ごめん」や「ありがとう」を言わない人がいます。それが、悪いというのではなくて、文化として知っておくと誤解が生まれにくいなと感じます。
文化の違いを知っておくことは、相手に合わせるためではなく、自分を守るため。
海外進学を考えている方には、ぜひ準備の一つとしておすすめしたいです。
鬱 : 心が折れてしまった時の対処法

プログラミングを始めて3ヶ月ほど経った頃、夫の日本出張に合わせて一時帰国したのですが、もともと精神的に疲れていた上に、この時に限って家族とうまくいかず……。今振り返ると、軽いうつ状態のようになってしまいました。
地元のおきにいりのとんかつ屋さん、まるかつで急に泣き出すアラサーを見かけた方がいたら私です。感情の波がすごくて自分でもどうしていいか分からない状態に。
「自分なんて生きている意味がない」「誰にも必要とされていないから、このまま消えてしまいたい」そんな考えがスウェーデンに戻ってから浮かぶようになり、限界を感じて「cotree(コトリー)」というオンラインカウンセリングサービスを利用し始めました。
プロの方がお話を聞いて、私に合った呼吸法やインナーチャイルドとアダルトの話などを教えてくださり、客観的に自分の心の状態を把握することができたのが良かったと思います。
そして、個人的には自殺に関する本をいくつか読み、「特殊清掃員」のお話に触れる中で「死」について一歩下がって客観的にとらえることができました。
私は、コトリーという日本のサービスを利用しましたが、スウェーデンで利用できるサービスも友人が教えてくれたので、ここで共有させていただきます。
自殺願望が湧いてしまうとき
どうしても危険な考えが頭から離れない時は、112 に電話をして、その気持ちを正直に伝えると良いそうです。スウェーデンではこうした緊急時にもきちんと対応してもらえる仕組みがあります。
スウェーデンで使える心のサポート
スウェーデンでは、精神療法として CBT(認知行動療法) が基本的に用いられています。
“Mindler” は私も利用してみました。保険が適用されるので、1回の診療が200krほど。アプリで日記のような記録をつけたり(スウェーデン語で)KBTについても学ぶことができます。私はスウェーデン語でカウンセリングを受けてみたかったので選びませんでしたが、日本語のカウンセラーの方も選ぶことができたと思うので、一度チェックしてみることをおススメします。
“1177.se” で最寄りの診療所を予約するという方法もあります。
“hjälpinjen” か “1177” に電話は待ち時間が長いこともあるけれどいつでも電話ができ、無料で匿名なのが大きなメリットだそうです。
冬の気分の落ち込みにはビタミンDを
「もう知ってるよ!」と思われた方も多いかもしれませんが、11月頃からスウェーデンは日照時間が一気に減るため、気分が沈みがちになる人がとても多いです。私自身もそうなのですが、ビタミンD の摂取は本当におすすめです。サプリでも、日光浴でも、できる範囲で取り入れてみてください。
開業という選択

最後に、私が個人事業主として開業する決意をした背景と、開業届を提出するまでの流れを紹介したいと思います。
UXデザインもプログラミングも諦めざるを得なくなったとき、私に残っていたのは「これまで働いたことのある仕事に戻る」という選択肢だけでした。ユニクロの販売員として働くのか、それとも細々と続けてきた日本語教育に戻るのか。
まずは日本語を教えられるサイトを探してみることにしました。
しかし、講師として登録できる多くのサイトでは、受講料の約30%が手数料として運営側に差し引かれる仕組みになっており、収益の半分近くを納税しなければいけないスウェーデンで、これでは長期的に安定した収入を得るのは難しいと気づきました。さらに、プライベートレッスンだけで生活できるほど収入を得るのは現実的ではないということにも、改めて気づかされました。
そこで私は、日本語とスウェーデン語のグループレッスンに舵を切ることにしました。以前からグループレッスンを担当したことがあり、プライベートよりも生徒さん同士が助け合えるため、学びのスピードが早く、教える側にとっても受ける側にとっても Win-Win だと感じていたからです。
自分で参加者を集められる仕組みを作れば、1日8時間の労働時間でも、好きな言語を教えながら十分な生活費を稼ぐことができる!そう思ったことが、開業に踏み切った大きな理由でした。
もちろん、このブログから収益を出すことも目標のひとつですが、実現にはまだ少し時間がかかりそうです。それでも、今回の開業届では、
- 日本語・スウェーデン語の語学指導
- ブログの広告収入・アフィリエイト収入
という二本柱で事業内容を申請し、Skatteterket で開業に関する情報を集め、verksamhet .se で 開業届を提出して無事許可をいただきました。
現在は100%個人事業主として活動しつつ、以前にも働いたことのある Folkuniversitetet という学校でも日本語を教えています。2026年からは2年ほどかけて高校や小中学校でも日本語を教えられるように日本の教員免許状をスウェーデンのものに切り替える勉強をヨーテボリ大学で行う予定です。
ここまで来るのにたくさん回り道をし、時間もかかりました。でも、「やりたくないこと」を一つひとつ手放していき、ようやく、自分が何をしていて、何のために頑張っているのかがハッキリと分かる働き方にたどり着いたと思います。
振り返って感じる「自分ファーストの本当の意味」

これまでは、プログラミングのように自分が苦手なことを無理に続けていたこともあり、朝起きるのもつらいほど気持ちが沈んでいました。けれど今では、教材を作ったりテストを考えたり、レッスンの準備のどのステップにも小さな楽しみを見いだせるようになり、自分が好きなことを仕事にできるありがたさ」を日々感じています。
そして、自分の中にひとつポジティブな感情が生まれると、不思議と連鎖していきました。どんな時も私の決断を尊重し、応援してくれた夫への感謝の気持ちが自然と湧き、自ずと夫婦関係も良くなったのです。最近では、2人でランチに出かけることも増え、息子にも心の余裕を持って接することができるようになりました。
今では朝起きるのも楽しみで、毎日の新しいTo Doリストを1つずつ消化していくことがとても嬉しく感じます。かつての自分が想像もできなかったほど、日々が軽く、前向きになりました。
KBTのカウンセリングで言われたことですが、気分が落ち込んでいる時こそ5分でもいいから自分の好きなことに時間を費やしてみる。ずっとやってみたかった趣味に挑戦してみる。
私の場合、特に詐欺にあってからはお金をどこかで節約しなければいけないと思い、自分で髪の毛を切ったり、好きだったボディクリームも週に2回と節約して使うようにしていました。でも、それが結局「自分には価値がない。無理だ!」と悪い意味で暗示をかけていて、行動も臆病なものになってしまい、個人事業主で開業すれば好きなことを仕事にできるかもしれないという選択肢を最初から除外してしまったのだと思います。
だから、辛い時こそ「自分ファースト」で好きなことに時間を割くべきなのだと、身をもって学びました。
まとめ

今回は、私がスウェーデンに移住してから3年7ヶ月の記録をご紹介しました。
長いように聞こえて本当に一瞬でした。
そして、今では何一つ無駄ではなかったと思います。
もしこの記事を読んでくださっている方の毎日が、不安な気持ちや孤独で満ち溢れているものだとしたら、3分でいいのでタイマーをかけて、自分の気持ちが明るくなるようなことを紙に書き出してみるのおすすめします。
そして頑張って1つトライしてみると、本来の自分に戻ることができるかもしれません。
最後まで読んでくださいありがとうございました!
少し早いですが、みなさんにとって2026年が健康で1充実としたものとなりますように。
God jul och gott nytt år🎅🎆
よいお年をお迎えください🎍


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